2.軽井沢の歩み

明治時代に軽井沢は避暑地として発展を始めました。明治21年にはショー師が軽井沢の第一号となる別荘を完成させました。
そして軽井沢の発展はそれだけではありません。同年には信越本線の長野方面が開通し、軽井沢駅が設けられました。さらに1893年(明治26年)には、碓氷峠を越える難所の区間も開通して、これによって軽井沢は鉄道路線で東京と直結することになりました。その後、ショーと一緒に訪れた当時帝国大学教師だったディクソン夫妻が「亀屋旅館」の佐藤万平に洋食のレシピを教えました。それによって1894年(明治27年)、軽井沢で最初の洋式ホテル「亀屋ホテル」(後の万平ホテル)が完成しました。その後、1899年(明治32年)には「軽井沢ホテル」、1906年(明治39年)には「三笠ホテル」も開業して、軽井沢は賑わいを増していきます。当時宣教師や知識人、それに文化人の間で軽井沢は人気を博すようになり、軽井沢は日本三大外国人避暑地の一つに数えられるようになりました。こうして軽井沢は発展を続けていったのです。
さらに1918年(大正7年)には堤康次郎による西武資本が、更に1945年(昭和20年)には東急資本も軽井沢の観光開発に参入し、その後は東京に近い条件を生かして、東京をを後背地として持つ避暑地、リゾート地としての立場を確立しています。
また軽井沢には、星野温泉の星野嘉助が設立した星野遊学堂(1921)が有り、そこを中心とした文化活動や、或いは中西悟堂と星野によるエコツーリズム「ピッキオ」の活動も有り、これらも現在の軽井沢のリゾート地としての基礎を築いた一要因に挙げることができます。
軽井沢のエピソードとしてよく知られているのが、かのビートルズのジョン・レノンがビートルズ解散後の1970年代中期から、彼が亡くなる1980年(昭和55年)まで、毎年のように夏になると家族連れで軽井沢に長期間滞在していたことが有ります。また避暑地の中には「軽井沢会テニスコート」が有りますが、これは言うまでも無く1958年(昭和33年)に、皇太子明仁親王(当時)と正田美智子の出会いの場所になったことで有名です。ロイヤルウェディングを育んだのも軽井沢だったのです。こうした軽井沢に関する逸話等も、日本で広く知られています。

ところで軽井沢は何故軽井沢と言うのでしょうか。皆さんはそんな軽井沢という地名の語源について御存知でしょうか。ここでは軽井沢という地名の語源について見ていきます。 現在の私達が軽井沢と聞いて思い浮かべるのは、勿論長野県のこの軽井沢ですが、軽井沢という地名は、実は長野県以外にも日本の各地に存在します。例えば秋田県大館市、千葉県鎌ケ谷市、それに神奈川県横浜市西区等、日本各地に存在しています。軽井沢の語源については諸説有ります。例えば古語・方言で荷物を背負って運ぶことを「かるう」ということから、峠に続く谷間のことを呼んだという説や、或いは枯井沢(水の枯れた沢)という説が有ります。