6.軽井沢の歴史2

軽井沢には所謂縄文時代から人が住んでいたと言われています。それを留める遺跡も軽井沢に多く残されています。先に具体例を挙げてそうした遺跡を紹介しました。
またその他にも、軽井沢は昔の遺跡がたくさん有ります。軽井沢でこの時期の遺物(土器、石器等)の出土するところは、先に紹介した茂沢地区をはじめ、杉瓜や発地付近、それに浅間山のふところにも近い千ヶ滝や旧軽井沢、それに矢ケ崎川の水源地付近等、実に広大な地域に及んでいます。また縄文時代だけではなく、弥生時代に入っての遺物も軽井沢から発掘されています。軽井沢の湯川や杉瓜、それに茂沢地区等から弥生時代の遺物が発見されています。このことから日本史の所謂狩猟の時代から農耕牧畜への時代の過渡期に相当する時期にも、軽井沢には人々が住んでいた事が伺えます。特に信濃16牧の一つとして有名な長倉の牧が軽井沢にあります。こうした遺跡の存在等は、軽井沢一帯のこの土地が、清涼な気候と尚且つ豊富な草原に恵まれていて、そして狩場や牧場に大変適していたことを物語っています。今も昔も軽井沢は、人にとって住みよい土地であると言えます。更にこの長倉の牧野土手と思われるものが、現在の旧軽井沢から離山の麓を通って、そして富士ヶ丘や古宿、それに追分地区あたりまでずっと走っています。そしてこの時代に使われた土器である土師器や須恵器が先に挙げた茂沢や杉瓜地区、それに軽井沢の入山峠付近の麓から発見されています。更に杉瓜からそう遠くない軽井沢の風越山付近には、その時代の墳墓もあるのではないかと予測されています。
こうして見ると、軽井沢の歴史的探求はこれからまだまだであるとも言えます。軽井沢は歴史のロマンをも感じされてくれます。
ここまで言わば先史時代の軽井沢の歴史について紹介したので、ここからは古代の軽井沢について紹介しましょう。
軽井沢には入山峠が有ります。この入山峠は軽井沢町成沢と群馬県松井田町入山の境界に位置します。この入山峠から昭和30年に多くの石製模造祭器が発見されています。
この所謂石製模造祭器とは、一体何なのでしょうか。これらの遺物は古代の日本において、比較的身分の高い人々が旅をする時に、ヌサ袋に入れて携えて山の峰で神々に向かって奉り、そして旅の道中の安全、それに故郷に残してきた家族や郎党の安泰を祈願したもの、と伝えられているものです。これと同様のものが、軽井沢から程近い立科町の雨境峠、或いは木曽山中の神坂峠でも発見されています。こうしたことから、軽井沢のこの入山峠が、古代の主要幹道の一つであった東山道のルートではないかと考えられています。
そして時代には江戸時代に入ります。江戸時代に入ると、軽井沢は嘗ての集落から、江戸時代を代表する宿場町へと変貌します。この時代、軽井沢は盛衰を経験することになります。